コラム「天才、と呼ばれた男、で終らなかった理由」J1山形の財前宣之
「天才、で終らなかった理由」
曇天のピッチの向こうに、宮崎のシンボルともいえる「シーガイア」が、かすんでそびえている。今年からチーム初のJ1昇格を果たした山形は、シーガイアに近い国際海浜公園で宮崎合宿10日目、春季キャンプとしてはすでに29日目という長丁場のトレーニングを行っていた。24日の宮崎は、雨を予兆する高い湿度と、16度に上昇した気温のせいか、どこかけだるい空気が流れていたが、疲労のピークと思われる中、山形の選手は声を出し、実に小気味良くピッチを動き回る。
中でもひときわ溌剌とした動きを見せていたのが、かつて「パスの天才」「ヴェルディ天才少年」と、サッカー界における「天才」を代名詞にしたような選手である。J1でのプレーは、03年仙台在籍中以来、実に6年ぶりとなる。32歳の財前宣之は、MFよりも前のポジションでプレーすることを求められている。
「トレーニングキャンプの流れにもようやく体が馴染んだところです。もう一度、Jリーグでプレーできるなんて、今はとてもワクワクしているので、あまり疲労を感じないのかもしれません」
笑顔は、ずっと変わらないようだ。
華麗なプレーをする選手が集まっていたヴェルディの中でさえ、年齢関係なく、そのセンスとテクニックを認められ、イタリア・ラッツィオに留学。中田英寿、松田直樹、宮本恒靖らの同期の中でも、その存在感は群を抜いていたが、怪我に泣かされた。選手生命を左右するといわれるひざの前十字じん帯を3度断裂。両膝には、今も長いビス(釘)が打ち込まれたままだ。
イタリアの後、スペインに行き、帰国してヴェルディに(当時は川崎)所属し、クロアチアでもプレーをした。22歳までに3度の断裂をしていれば、以後10年もサッカー選手を続けていることが奇跡といえる。清水秀彦監督のもと、仙台で昇格に貢献したが、05年に解雇され、今度は山形が手を差し伸べた。
「僕はいつも、多くの人の支えで、拾ってもらった、と思ってきました。6年ぶりのJ1で、今まで僕を支えてくれた人全てに恩返しがしたい」
練習終了後、本当に何年ぶりかゆっくりと話を聞いた財前は、そう言った。若くして、これでもか、これでもか、と怪我をした。選手生命の危機をたびたび味わったことが、キャリアをむしろ長くしてくれた、と財前は振り返る。弱いところを発見するたび、人は強くなる、と。「プラス思考とは、辛いときにこそ貯金されます」と笑いながら。
J1でのプレーでは、致命的といわれる怪我、手術、ブランクを味わったとしても、キャリアまで傷つけることはないのだと、身をもって示したいという。
「32歳はまだまだベテランなんかじゃない。松田、宮本とピッチでそう言って、笑いたいと思っています」
財前のプレーは再びJ1で見られることを楽しみにするファンは多いだろう。
開幕戦はジュビロ磐田と対戦する。
(文=増島みどり)





