「女子レスリング山本聖子、3年ぶり現役復帰」吉田と同じ55㌔級に
「今年の天皇杯からせ界を目指したい」
1999年から4度の世界チャンピオンになり06年に現役を引退した山本聖子(28)が7日、現役に復帰することを明らかにし会見を行なった(板橋区・ナショナルトレーニングセンター)。
山本は、女子レスリングが新種目となった04年のアテネ五輪を目指し、55㌔級にチャレンジしたが、吉田沙保里との激戦の末代表権を獲得できず、怪我などに悩まされたこともあり06年に引退。ハンドボールの永島英明氏(大崎電気)と結婚し、07年9月に男児(匠瑛君)を出産した。
現役時代は、51キロ、56キロ、59キロと3階級で女王となった実力者が、五輪の階級55㌔に復帰することを、現女王の吉田沙保里(綜合警備保障)は山本から連絡を受け大歓迎したという。
山本は、姉・美憂をコーチに、姉夫婦(美憂の夫は、アルペンスキー、トリノ五輪代表の佐々木明のため欧州でトレーニングを行う)の拠点ともなっているオーストリアへ8日に出発する。リング名は山本のまま、10月の全日本女子オープン出場(静岡)を目指し、09年12月の天皇杯で2010年世界選手権の代表権を狙う。所属先がまだ決まっておらず、マネージメント担当会社からは「きょうから、広く企業に知っていただけるようアピールしたいと思っています」と、スポンサーを公募している。
富山英明・日本レスリング協会前強化委員長 昨年12月31日、本人から復帰したいという電話が来た。いよいよ来たかと思ったが、協会としては大歓迎だ。階級は(五輪の)55㌔になるだろう。吉田沙保里と切磋琢磨してロンドンを目指して欲しい。谷亮子選手と同じようにママでも・・というところを見せて欲しい。
山本聖子一問一答
―復帰を決めたのは?
山本 8月です。昨年北京五輪を初めて自分の目で五輪を見て、私もこの舞台に選手として立ちたいと思ったのがきっかけです。具体的に何かひとつのシーンというのではないけれど、北京の空港に降り立ったときに感じた何か、会場で選手が戦う姿、表彰台に立つ選手や色々な国の国旗、それらを見て、体全身で感じたものがあった。
―この2年、ブランクはあるが。
山本 一番の理解者で、彼に理解してもらえなければ続けられなかった。主人の永島英明です。まだ気持ちが固まっていなかったが、やりたい、と決めたときには北京にいたのですが、国際電話でもしかしたら、やってみたい、と伝えました。夫は、電話の向こうでテンションが上がっていて、いいじゃん、と言ってくれたのを覚えています。姉(美憂)は、相談と御願いごとをしたんです。コーチをしてもらいたいと御願いしたら、悩みもせずに一緒に頑張ろうと言ってくれました。父(郁栄さん)はシビアなので、どういう答えが帰ってくるか怖かったんですが・・・まず兄(KID徳郁)に言ったら、いつもの感じで、いいじゃん、やるべきだよ、と言ってくれた。父には他の家族よりは遅らせたんですが、グラグラした気持ちでいうのではなく、練習をちゃんとやってレスリングができるなという状態で報告したかった。始めはびっくりしたと思いますが、応援してくれている。
―練習はいつ始めましたか?
山本 思った日ですから、8月21日から練習はスタートしました。姉の美憂は何回も復帰しているので、もしもそういう気持ちになったらどう思う?と聞いたのですが、やりたい、と思ってから躊躇した時期があった、結局はやるんだから、躊躇した時間がもったいなかったので、やりたいと思ったときにやったほうがいい、と言われたのですぐに始めた。子供を見てもらえる環境はなかったんですが、主人が午前中にいるときに、ちょっと見ていて、と頼んで走りに出かけた。休みを週1日に決めて、週6日を練習し休んでいる。練習場は、生活にあった場所で山本スポーツアカデミーの「クレイジー ビー」でやっている。コーチは姉と兄がアドバイスくれたりしている。レスリングの練習では父がちゃんと見てくれている。もう少しできるようになったら、母校の日大のレスリング部へ出げいこをしたいと思う。所属はまだ決まっていないが応援してくださる方がいればいいなと。
―ブランクの弊害は
山本 不安でした。プランに現役復帰はなかったので、全く体を動かしていなかった。レスリングを始めたら、腕立てが以前は何百回もできたのに、10回しか、それもひざをついてしかできなかった。懸垂も、何回だってできたのに、1回もできなかった。筋力がなくなっていて、本当にやれるのかな、という不安はあった。やってみれば、やれるもんだな、と、今の時点では思っている。
―両立は
山本 母としてママとしてやるのは凄く大変で、ちゃんと家事や子供のことを全てちゃんとやるのは大変だな、と思う。でもやれるのが当たり前だ、と思えるようにもなってきた。家の中では主人が、今までは亭主関白だったのに、今では積極的に色々一緒にやってくれる。子供は練習場に連れていって、おなかの大きな姉が、私の子供を抱っこして私を指導してくれるような感じで・・・保育園にもなかなか入れることができず、ベビーシッターを頼んで練習中は見てもらっている。
―階級と目標の大会は
山本 階級は55㌔で。12月の天皇杯に出たいと思っています。そのために10月の女子オープン選手権で権利を獲得したいと思います。
―吉田の階級にあえて戻るのは?
山本 自分の動ける階級をまず考えて、55も59もあったが、59でやっていたときには重くて動けていないと思っていたので、ひとつ下の階級に、と単純に思った。吉田沙保里選手に電話して、何と言えばいいのかと思ったけれど、またレスリングしようと思っているんだけれど、よろしく御願いします、といいました。そうなんだあ、という言葉から始まって凄く歓迎してくれて、レスリング界を一緒に盛り上げられたらいいね、と言ってくれた。
―ご自分にとってどういう挑戦ですか
山本 (長い沈黙のあと)始めたのは、ただ純粋にレスリングをやりたいという気持ちに正直に従った結果なので、その中でちょっとは悩んだけれど、怖がって、諦めるということは人生にとって、おばあちゃんになったときに後悔すると思った。絶対に自分の人生で後悔はしたくなかった。だから決めました。オリンピックを初めて見たときに、自分の目指した道は間違いではなかった、本当に素晴らしいところだと思いました。
(取材・文=増島みどり)





