何度目かの年女・・・
元日の午前中から女子全日本サッカーがあり、午後には天皇杯が行われるので、お雑煮だけすすって初仕事に出かける。翌朝はまだ暗いうちに家を出て、始発で箱根駅伝のために芦ノ湖へと向かい、三日の朝も同様に早朝から取材と、正月は普段以上に慌しい。箱根が終る三日の夜、ようやく、人並みの「お正月」がやって来る。毎年、三日深夜から、分類しておいた年賀状を何時間もかけてゆっくり読むのが、ささやかな新年行事である。
達筆にうなり、干支をテーマにした、洒落た年賀状に感心し、先輩や仕事仲間の言葉に励まされ、友人の子供たちの成長に驚く。特に、女子校時代を六年過ごした友人たちからの年賀状には色々なものが詰まっている。今年は懐かしい友人たちからのものが多いような気がした。
米国の大学を出て、外資系でキャリアを積む彼女は中学の頃からずっと「イモバン」の年賀状だった。便利なプリンターもソフトも誕生したし、肩書きも秘書も付く人なのに、いつもイモバンを彫る。初めて違ったのは、経済が悪化する中、競争に明け暮れた仕事を辞め、紛争地帯でボランティアをしているからだった。
「インターネットは一日限られた時間しかできないけれど、みどりの記事を読んでる。頑張って!」と書かれていて、学生時代、席が隣で、授業中、おしゃべりしては先生に怒られ、廊下に立たされたことを思い出した。
別の友人は、家族揃ってのクリスマス写真の間に、がん治療から生還した、と書いている。早くに結婚した友人は離婚し、「これから第二の人生です」と、事業を始めたとハツラツとした様子で報告をくれた。葉書き一枚に記されたわずか数行のメッセージなのに、年賀状がまるでぶ厚いノンフィクションのように思えてくる。いつもより同級生たちからの年賀状が多かったのは、気のせいじゃない。きっと、みんな考えたんだろう。「年女」になる節目に、一緒に歳を取ってきたお互いの姿を。
(1月5日 東京中日スポーツコラム「セブンデイズ」より 文=増島みどり)





